▼ラスト|お知らせスレッド4 [レス数47]
- [1] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/24 23:21:14 862
大縫さん、鳥辺野さん、新スレッドの立上等、いつもご協力ありがとうございます。
いつの間にか、お知らせスレッドもいっぱいになっていましたので、新たに立ち上げさせていただきます。
- [3] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/25 00:17:34 864
興師御影画像 茨城・冨久成寺蔵
- [4] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/25 01:06:50 865
「門流雑想―日興上人御影像について―」拝読させていただきました。確かに中央の日興上人御影像は、日尊上人像に見えますね。京都要法寺開山堂奉安の「日尊上人像」の造りにとても似ていますね。
- [5] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/25 01:21:54 866
宗祖以外の像つながりで、他門ですが、有名な久遠成院日親(なべかむり)上人像。
- [6] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/25 19:43:56 867
鳥辺野さん、〔5〕の画像は面白いですね。 背面は左尊右卑の理通り、左が釈尊、右が日蓮ですね。 本来はこれが普通なのでしょうね。
- [7] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/25 23:44:52 868
高祖・開山画像 黒須野・妙法寺蔵
- [8] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/26 04:56:29 869
独学徒さん >本来はこれが普通なのでしょうね。
[5]の写真を見た時、信仰心が素直に現れているような奉安の仕方だと感じました。[8]の写真は京都本法寺で私が撮影した、日親上人像です。
- [9] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/26 21:19:34 871
大縫さん、妙法寺の御影画像をありがとうございます。 よくみると、日興上人の指は、大縫さんご教示の通りですね。 木造の日興上人御影でも、石山系は同様の形なのでしょうか?
鳥辺野さん、王城古寺の画像、ありがとうございます。 本法寺には、本阿弥光悦筆写の如説修行抄がありましたね。 本法寺文書2では、光悦が何を底本に筆写したのかがわかりませんが、興味のある寺院ですね。 大石寺蔵・所謂「紫宸殿大曼荼羅」の、授与書を削除する前に写したと思われる、弘安三年三月の宗祖大曼荼羅の模写があるのも本法寺でしたね。 虫干が毎年、8月下旬の平日に行われるので、なかなか出向く事が出来ませんが、いつかは行きたいと思いますね。
- [10] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/26 22:22:11 872
独学徒さん
>大石寺蔵・所謂「紫宸殿大曼荼羅」の、授与書を削除する前に写したと思われる、弘安三年三月の宗祖大曼荼羅の模写があるのも本法寺でしたね これについては、私は知りませんでした。授与書が本物であれば、所謂「紫宸殿大曼荼羅」の元々の所蔵者(寺院名等)も解るかもしれませんね。大石寺の真筆が初めから石山系の僧俗が所持していたとは、かぎらないですものね。(同じく私が撮影した本法寺の写真を添付いたします。)
- [11] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/26 23:15:14 873
鳥辺野さん、本法寺所蔵の模写本は、沙弥日載授与の授与書があったと記憶しています。 御本尊集目録の安82の項に書いてあります。 稲田海素師の御本尊写真鑑でみる以上に、現物はまるで真筆のようです。 カラーの写真を、以前、日蓮宗の御僧侶から見せていただいたことがあります。
- [12] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/26 23:32:46 874
昨年、十二月に市川市の浄光院で安59妙心授与の曼荼羅が 一年の修復を終えたそうですが、今日蓮聖人曼荼羅の修復を 中尾名誉教授監修の下行われている見たいですね
身延山所蔵の弘安三年の曼荼羅も修復されたのでしょうか?
- [13] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/26 23:41:56 875
大縫さん、
>身延山所蔵の弘安三年の曼荼羅も修復されたのでしょうか?
旧保田妙本寺所蔵の大曼荼羅ですね。 どうなんでしょうね? どなたか情報をお持ちでしたらお教え願いたいですね。 修復が終わったら、是非、身延山の宝物館にて拝観したいものです。
- [14] 投稿者:れん 投稿日:2008/02/27 20:23:24 876
横レス失礼します。 先日話題にでました沙弥日載授与の弘安三年三月の漫荼羅ですが、私が感じた印象としては石山蔵の弘安三年三月の大漫荼羅よりも、以前大縫さんが画像を御提示された下条妙蓮寺の板本尊に近い感じがするのですが、どうでしょうか?皆さんの御見解をお聞かせ戴ければ幸甚です。
- [15] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/27 22:29:25 877
れんさん、確かに似てはいますね。 よく見比べると、細かい部分で違いがあるようですが、あくまでも稲田海素師の「御本尊写真鑑」と見比べてのことです。 私は昨年の本法寺の御風入で撮影された、日載授与の大曼荼羅の写真を拝したとき、どうも「御本尊写真鑑」とは、少しイメージが違ったように記憶しています。 写真はデジタルでない上、いただくことが出来ませんでしたので、今度機会があったときに、「御本尊写真鑑」を持参し、再度拝見させていただき、見比べてみたいと思います。
- [16] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/27 23:40:40 878
横レス失礼致します。 れんさんの言われる通り、蓮山の板曼荼羅は沙弥日載授与 の曼荼羅本尊に酷似していますが、蓮山の底本は火災にて 焼失したと聞いておりますが・・・
沙弥日載授与の曼荼羅は形木として、叡山定光院に格護さ れていて寺史にカラー写真で紹介されているので、鑑別の 余地はあると思われますが。
- [17] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/27 23:44:03 879
蓮山(本山妙蓮寺客殿)安置板曼陀羅
- [18] 投稿者:れん 投稿日:2008/02/28 11:35:27 880
独学徒さん・大縫さん、御見解の御披瀝有難うございます。 犀角独歩さんの板本尊研究で明らかになったように、板本尊は文字の配置が原本に忠実ではない場合がありますので、細部の印象が違うのはそのせいではないかと思います(写真写り具合も含め)。 もっとも、蓮山の板本尊の紙幅原本は曽存ですので、すべては推定になってしまうのですが、本法寺模本と蓮山の板本尊の相貌が酷似するのは、@蓮山曽存紙幅が原本で、本法寺模本はその写し。この場合は授与書が残っている本法寺模本が蓮山板本尊よりも原本の形態を残している。A蓮山板本尊の原本である蓮山曽存紙幅も、本法寺模本と原本を同じくする模写で、その原本の蓮祖真筆もすでに失われて曽存である…の何れかの理由によるものかと考えます。ただ私には鑑別するだけの資料がないので、詳しい調査は独学徒さん・大縫さんのお力にお任せいたします。
- [19] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/28 13:51:59 881
独学徒さん >御本尊集目録の安82の項に書いてあります。 今確認致しました。完全に見落としておりました。ありがとうございます。 大縫 薫さん >蓮山(本山妙蓮寺客殿)安置板曼陀羅
画像ありがとうございます。安82とは大分印象が異なりますね。 れんさん お久しぶりです。
- [20] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 16:58:23 882
妙本寺関係の資料を整理していましたら、先代光明院日照師 遷化の報を伝える大日蓮誌がありました。
その1
- [21] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 17:00:06 883
その2
- [22] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 17:02:14 884
その3
- [23] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 17:05:32 885
その4
本葬の司会には現蒲田宝浄寺住職の大村日統師が務められて います。
- [24] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 17:17:09 886
本山妙本寺(当時日蓮正宗)晋山式 現観岳院日櫻上人の入山を伝える大日蓮誌
- [25] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/28 17:44:28 887
確か当時の富士日照氏の弟君は、小泉久遠寺の末寺の住職かと。正宗帰一のため、兄弟が離れ離れにになり、また、旧妙本寺末寺が散逸し、惜念の情ありという談話を、以前末寺、住職から聞いたことがあります。
- [26] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/28 22:48:40 888
大縫さん 「大日蓮」の妙本寺関連記事をありがとうございます。 寛全房上人が、御能化様になられたときのことなどは、お分かりになりますでしょうか? 確か、富士日昭師が、寛全房上人に授与された大曼荼羅は、「日櫻」という日号ではなかったように思います。 御能化様になられたときに、日号をかえられたのでしょうか? ご存知でしたら、ご教示下さい。
- [27] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/28 23:17:29 889
そうですね!日櫻という日号ではなかったかと思います。
阿闍梨号は高松阿闍梨寛全房で日号は光明院日照師書写の 曼陀羅に授与書がありますが、定かではありませんが日寛 だと思いますので御虫干で開帳されるので、確かめて下さい。
御前様は香川県出身で、縁あって延岡市の本東寺で修行され その後に長泉町の円蔵寺住職・天羽の本乗寺住職を経て本山 妙本寺貫首になられます。
- [29] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/28 23:50:55 891
妙本寺御影堂内の壁画を描かれたのも御前様のお兄様ですね。確か。
- [30] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/29 00:01:15 892
大縫さん、閑雪さん、御教授ありがとうございます。
今年の御虫干に参加できましたら、確認したいと思います。 しかし、鎌倉家も凄いですね。
- [31] 投稿者:しゅんかん 投稿日:2008/02/29 00:51:51 893
横レス失礼致します。
鳥辺野さん お久し振りです。 [8]の京 本法寺のアップ画像は、日親像ではなく画聖・等伯像であったと思いますが。 そして左の樹は光悦お手植えの松ですね。
- [32] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/02/29 00:54:56 894
妙本寺では、所謂万年救護大御本尊を出世の本懐と位置づけ をされているのでしょうか?
保田近郊の檀家衆のお宅にお邪魔した際に御前様の内仏と同じ 救護の曼陀羅の写真版が木の額に納まっているのを拝見した事 があります。
下部には「真向の御影」と呼ばれる正面を向いた祖師画像の写真 も印刷されていたのを記憶しています。
木額の裏には遠忌の際に妙本寺より発行された由来書きが添えられていたのですが、記録しませんでした。
- [33] 投稿者:志浄院 投稿日:2008/02/29 07:53:21 895
日蓮正宗に在籍していた当時のことはわかりませんが今の妙本寺は地元のおばちゃんたちが境内清掃をしたりしてそこでお茶を楽しんでいるいわゆる田舎の古刹って感じでした。
- [34] 投稿者:れん 投稿日:2008/02/29 14:01:28 896
鳥辺野さん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです。
大縫さん 私は、保田妙本寺様と結縁させていただいてから、まだまだ日が浅く、現在の妙本寺様の教義・化儀を詳しくは存じ上げないのが実際ですが、私が御影様の御開扉を受けに参詣させて戴いた際、購入致しました勤行要典の御観念文では二座で“万年救護大本尊”を御観念するようになっておりますので、妙本寺においては御本尊はあくまで万年救護大御本尊が中心と存じます。ただ“出世の本懐”というキーワードは彫刻を中心に据えた近世以降の石山系のみに通用する概念で、他の興統法縁では、重要視するものではないと思います。保田妙本寺の万年救護大本尊には現存の蓮祖真蹟の大漫荼羅の中では但一幅“大本尊”と御図顕讃文にしたためられていますので、自ずと御影様とともに当大御本尊が妙本寺の信仰の中心に据えられていると言うことだと存じます。ここで注意すべきなのは、蓮祖の御筆の大漫荼羅を“本門の本尊”に規定することは妙本寺第四世日伝師の大綱深秘抄にみられ、石山で日蓮本仏論を明確にのべた十三世日院に先行して日蓮本仏観や人即法・法即人の本尊観は日要師が述べておりますから、石山日寛教学の影響下に現在の妙本寺があるのではなく、石山日寛の教学が、実は日要・日我両師の説を中心とする中世妙本寺教学の焼直しで、それに左京日教の著述に見える教学を加えてアレンジし、保田における万年救護大本尊の位置付けを彫刻に置き換えただけのものというのが、石山教学の実際であり、現存古文献から見える観測です。
- [35] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/29 14:09:17 897
帰一以前から、よく存じておりますが、教義についても、変化はありません。以前より、妙本寺の教学も。ただ、変わったことは、日顕氏の曼荼羅をとりつがなくなったことです。 独自の教学、教義を守っておられました。正宗の教師(一部)は日顕信徒に対して妙本寺に対するおんしつ的な不遜な言動をしている者もおりましたが。
- [36] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/29 15:22:20 898
しゅんかんさん お久しぶりです。
>日親像ではなく画聖・等伯像であったと思いますが ご指摘有難うございます。私はてっきり横の木の塔婆に「久遠成院日親上人云々・・」と有りましたので、日親像とばかり思っておりました。大変失礼致しました。
独学徒さん 大縫 薫 さん れん さん 申し訳ありません。私はあわてん坊ですので・・。しゅんかんさんのご指摘によりますと、[8]の画像は日親上人像ではないそうです。お恥ずかしい限りです。お詫びに・・・写真は私が撮影した「正真正銘」、身延山の日親上人像を添付致します。
私も妙本寺の御虫払いで富士日照上人の曼荼羅を拝見致しましたが、確か御前様(日櫻上人)の「日号」は元々、日寛だったと記憶いたします。富士日照上人の曼荼羅はとても立派な相貌でした。(大縫 薫 さん記事の方有難うございます。)また、妙本寺応接室の御前様の内仏(木の額に入った万年救護大本尊)は何度か拝ませていただきました。また御前様が能化になられた当時のことが地涌701号http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/701.html は取り上げておりますね。元々の「日寛」の名は石山二十六世と同じになるから変更したのでは?と愚考します。
- [37] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/29 16:51:00 899
鳥辺野さんはじめまして。地涌701号にいろいろと取り上げられておりますが、妙本寺にたいしての内容は、外部からの噂話にすぎないともいます。ですから、ましてや、救護御本尊を印刷してくばるなどとは、事実無懇だと思います。
- [38] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/29 17:07:04 900
閑雪さん はじめまして、宜しくお願い致します。 やはり学会系の記事等はあてにならないと言う事かもしれませんね。参考になりました。有難うございます。今回の日蓮正宗離脱後、日興師書写曼荼羅、元亨二二(四)年十月六日(日興上人御本尊集の208)が下付されておりますが、信徒の方曰く、「本当は大本尊の御形木を出したかったんだけどね」とおっしゃっておられたのが印象的でした。
- [40] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/29 17:35:10 902
昭和48年印刷云々とは、事実、別な事件があり、ここでは申し上げられませんが、妙本寺さんの関与ではありません。
- [41] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/29 18:43:30 903
閑雪さん [39] 、[40] ご教示有難うございます。 そういえば、御前様は二月二十八日お誕生日?であったと記憶致しますが、今年で100歳になられたのでは?
- [42] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/02/29 18:55:41 904
昨年末にお会いしました時は大変お元気でおられました。御影堂にお出ましになりませんが、修郷師のお説教もすばらしく、立派になられました。
- [43] 投稿者:鳥辺野 投稿日:2008/02/29 19:28:25 905
閑雪さん
>昨年末にお会いしました時は大変お元気でおられました そうですか、お元気ですか!よかったです。しばらく妙本寺にはお邪魔いたしておりませんので、心配しておりました。
- [44] 投稿者:れん 投稿日:2008/02/29 20:51:29 906
閑雪様、はじめまして。 保田妙本寺様につきまして様々のこと御披瀝戴き、感謝申し上げます。仕事が多忙でなかなか参詣の叶わぬ新参者の私には、なかなかこういった事柄は分かりません。閑雪様のご教示は大変助かります。今後ともご鞭撻の程お願い申し上げます。
- [45] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/02/29 22:37:48 907
志浄院さん、はじめまして。独学徒と申します。 引き続き、ご参加の程お願い申し上げます。
れんさん、大縫さん、閑雪さん、また鳥辺野さん、しゅんかんさん、お知らせスレッドが、あっという間に一杯になりそうです。 皆様のご活躍に感謝申し上げます。 保田妙本寺に関するスレッドでも立ち上げますか。 関心のある方、結構多いようですし。
- [46] 投稿者:志浄院 投稿日:2008/03/01 08:26:41 917
平成17年度の日蓮宗の大荒行に妙本寺末の大行寺の僧が入行されてましたね。 今、妙本寺とともにしているのは鴨川の遠本寺・富津顕徳寺・君津本顕寺ぐらいですかねぇ? 確か富津の本乗寺の住職は鎌倉さんという方だと思うのですが妙本寺の鎌倉日櫻師との関係はどうなんでしょう? 不勉強なので御教示いただければ…
- [47] 投稿者:閑雪 投稿日:2008/03/01 09:50:23 918
荒行に参加されたのは、確かお婿さんでしょうね。おそらく。妙本寺と、本乗寺の関係は、詳しくは、ここでは書けませんが、本乗寺は日蓮正宗のままです。
- [48] 投稿者:犀角独歩 投稿日:2008/03/02 18:30:33 939
大縫さん、れんさん
『始唱黎明』(P87)に載る定光院所蔵の形木をアップします。 よく似ていますが、中央首題・日蓮花押が一致しないようです。ただし、四大天玉、不動愛染は傾きを変えると一致するような、原本複数か、かなり、レイアウト変更を行っているような、さて、これが原本かどうか、ざっと図形比較した限りではわかりませんでした。
- [49] 投稿者:独学徒 投稿日:2008/03/02 19:01:01 940
犀角独歩さん、定光院所蔵の形木の画像をありがとうございます。
先日、稲田海素先生の御本尊写真鑑を持って、本法寺所蔵の日載授与の大曼荼羅を見比べてきました。
私の手元にある御本尊写真鑑が、数回複写を繰り返しているためか、少々薄くなっていますが、御本尊写真鑑に掲載されているものが、本法寺所蔵分と全く同じものであることを確認しました。
その上で、大縫さん御投稿の富士妙蓮寺板曼荼羅を、見比べてみたのですが、勧請諸尊は一致するようですが、やはり細かなところで相違が見られますね。
また、江戸期には御形木印刷されたものの上から、筆でなぞり、筆勢を含め真筆さながらの迫力ある写しものが、かなりつくられたという話を聞きました。
- [50] 投稿者:大縫 薫 投稿日:2008/03/02 19:08:35 941
独歩さん、有難うございました。 確かにれんさんの言われた、蓮山客殿安置板曼陀羅に首題が 酷似しています。
花押は似つかないものの、蓮山の板曼陀羅の底本も又この写真 に近い感じなのでしょう。
画像を多少大きくして見ました。
|